スティーブ・ジョブズ伝説のスピーチとナラティブカウンセリング

ナラティブカウンセリングとは
 
ナラティブカウンセリングとは、キャリアカウンセリング等で使用される「カウンセリング技法」のことを指します。
ナラティブとは「物語」「語り」のことで、その人が過去の経験等をどのように捉えているか、考えているかを「語って」もらうことで、その人の価値観や信念を言語化していく手助けをするのが「ナラティブカウンセリング」です。
例えば、幼少から現在に至るまでの様々な経験を思いつくままに語ってもらったり、これまでの経験や人生に題名をつけてもらって、「なぜその題名にしたのか」を語ってもらったりするといった方法があります。
これをすることで何が起きるかというと、
過去の経験が今の自分にどう影響しているかを、客観的に捉える
ことができるようになります。
あなたもこんな風に思ったことはありませんか?
 
あの時は大変だったけど、あの経験をしていてよかったと心から思う
 
どうですか?おそらく多くの方は心当たりがあると思います。
 
人生は本当に様々な出来事の連続です。
その中には自分が全く望んでいないこともたくさんあります。
自分でも考えられないくらい衝動的だったり短絡的だったりする行動だってあります。
ただ、望んでいないことや衝動的・短絡的な行動などが、その時は嫌だったり後悔したりしても、結果的に自分にとって良い影響を及ぼすということもまた、不思議とあるものです。
 
そういった、今の自分にとって過去の経験が持つ意味や意義を見出していくのがナラティブカウンセリングです。
 
 
スティーブ・ジョブズによる伝説のスピーチ
 
スティーブ・ジョブズは2005年にスタンフォード大学の卒業式でスピーチをしました。
大学を卒業して社会に飛び立とうとしている若者たちへ、自身の人生を振り返り、人生観について語り、エールを送りました。
その内容の素晴らしさから、伝説のスピーチと呼ばれています。
なので、すでにご存知の方も多いかと思います。
 
ですが、ここではそのスピーチの内容の素晴らしさや価値についてではなく、ジョブズが彼の人生を振り返って語る、その過程視点について述べたいと思います。
 
 
そのスピーチの中で、ジョブズは3つの事柄について話しました。
1つ目は、「点と点がつながる」という話です。
2つ目は、「愛と敗北」の話。
3つ目は、「死について」の話です。
 
ここでは、主に1つ目の話についてナラティブカウンセリングの視点から見ていきたいと思います。
 
若かりしジョブズは、大学に入学したものの、意義を見出せずにたったの半年で中退してしまいます。
中退したので、日本で言うところの「必修科目」を受講する必要がなくなったジョブズは自身の興味の赴くままカリグラフィ(日本の書道のようなもの)の授業を受けます。
それはジョブズにとってとてつもなく感性を刺激されるものでした。
Macはフォントがとてもキレイなことで有名です(僕もフォントがキレイなのが好きでMacを使っています)。
ジョブズはMacを開発するときに、大学で学んだカリグラフィを取り入れたのです。
そしてその時はその点が将来どうつながるかは分からないが、どこかで必ずつながるからそれを信じて自分の心に従うべきだと締めくくりました。
 
以下、スピーチの動画とその中からの主要な箇所の抜粋です
 
そんな風に自分の興味と直感に従って動き回っているうちに出会ったものの多くが、後から見ればこの上なく価値のあるものだったのです。
 
もちろんその時、これらがこれからの人生の上で実際に役に立つ可能性があるなどとは思ってもみませんでした。
 
もし私が大学を中退していなかったら、あのカリグラフィのクラスに潜り込むこともなく、パソコンが現在のような素晴らしいフォントを備えることもなかったでしょう。
 
点がやがてつながると信じることで、たとえ、それが皆の通る道から外れても、自分の心に従う自信が生まれます。これが大きな違いをもたらしてくれるのです。
 
 
スティーブ・ジョブズ伝説のスピーチとナラティブカウンセリング
 
この、ジョブズの半生の振り返りと捉え方はまさにナラティブなアプローチそのもので、その経験の意味の発現においてもナラティブカウンセリングを彼自身で行ったようなものです。
 
スピーチでは述べられていませんが、ジョブズはカリグラフィ以外の分野でも、日本の座禅に大きな影響を受けています。一時は本当に禅宗に出家しようと考えたほどだそうです。
(ちなみにApple社には瞑想ルームがあり、業務時間の30分を瞑想に充てる取り組みがあるそうです)
そして座禅の中で見出した、物事に関する何らかの本質がMacに反映されているそうです。
 
非常にブレた人生を送ってきているようで、終始一貫したとても力強い芯を感じさせます。
 
一見すると、コンピュータ会社のトップの経歴とは思えませんが、それらの独自の経験がジョブズの言う「大きな違い」となってこれほど多くの人に愛される製品になっているんでしょうね。
 
その時は辛かったり、暗闇の中にいるように感じても、いずれその経験(点)が繋がり意味をもたらす時が来るというナラティブなアプローチの良い形だと思います。
 
所感
こんなジョブズ氏の話の後に、自分の話を入れるのも大変恐縮ですが、少しだけ思うことを書きたいと思います。
 
僕は最近、とても強く思うようになったことがあります。
それは、
「“今”はこれまでの『結果』ではあるが、『結論』なわけではない」
ということです。
 
少し解説すると、今目の前にある成功だったり失敗だったり、もしくは現状だったりは、確かにこれまでやってきたことの結果だと思います。
ただ、それはあくまで結果であって、結論ではない。
瞬間的な結果があるだけで、それで自分が優れているとか劣っているとかを結論づけるものではなく、長い人生の中の一瞬で、まだまだ道半ばだということです。
 
たまに、「こんな現状だから自分はダメな人間なんだ」と口にされる方がいます。
これは結果と結論がごちゃ混ぜになっていると思います。
ナラティブなアプローチが必要だと思います。
大学を中退したときのジョブズが、ダメ人間だったでしょうか?
結果として、その時の経験が将来に影響して、世界的なイノベーションを起こす偉大な人物になりました。
将来は分かりません。だから結論づけるのはまだまだ早いと思います。
 
僕は、大学で哲学を専攻しました。
当時、僕が哲学科の大学に行くことに賛成してくれた人は記憶する限りいなかったと思います。
加えて本当は第一希望の大学がありましたが、その第一希望が不合格で、不本意でしたが第二希望の大学でした。
ちゃんと知らなかったんですが、結果的にそこの大学は仏教系の由緒ある大学で、偉大な哲学者も輩出している大学でした。
仏教系の大学ということで、4年間座禅をするという貴重な経験もできました。
その時に、学んだこと、経験したことが、急に役立つ時がくるという経験もしました。
むしろ4年も座禅を組んだ人なんてそうそういないから、強いオリジナリティを持てるようになりました。
それ以上に、座禅の中にある自分自身の見つめ方が、キャリアカウンセラーとして人と関わる時に大いに役立っています。
座禅の経験がなかったらカウンセリングなんてできなかったのではないかとすら思っています。
だから、当時の僕は受験に失敗して不貞腐れてましたが、結果としては心から行ってよかったと思っています
そして、そう思えたことによって絶望する必要なんてないし失敗っていうものも実は存在しないんだな(実体は無く、とても瞬間的なもの)と身をもって感じることができました。
だってその瞬間は何がどう役に立つかなんて分からないけど、いずれ何かに結びつくんですもん。
だったらその時々でいちいち判断して結論付けていくのは無駄だなぁと思うようになったんです。
 
そう思えるようになったら、今度はなぜだか少し自信みたいなものが生まれてきました。
「失敗はその時だけのものでいつか役に立つ時がくるし、人との差異は純粋に個性だもんな。」
心からそう思えるようになったからだと思います。
 
ナラティブなアプローチは自分一人ではだんだん視野が狭く考えてしまうところを、人生という大きな流れや目線で見ることができるのがとても優れたところだと思います。
そうすることで、客観的に冷静に自分を見つめることができて、自己や過去を肯定的に見つめ直すことができるのだと思います。
 
ジョブズのスピーチにおいて、内容は一言で言えば過去の失敗についての話ですが、とても希望に満ち溢れていて明るい気持ちにさせてくれるのは、そこにナラティブなアプローチがあるからなんだなぁと感じます。
 
もし、今自分の人生について思い悩む人がいて、このブログが少しでも気持ちが明るくなったり軽くなったりする助けになれれば嬉しいです。